三浦春馬の死を引きずる。
今は私は決して病んではいない。
どちらかといえば、この休日は運動もして、海で遊んでリフレッシュもできた。
けど、ふと思ったことがある。
いつも言ってることなんだけど、痩せたいけど痩せれない。食事制限したいのに食べてしまう。
美味しいと感じるものって、甘いし脂肪分あるし、カロリーが高い。
もし、低カロリーのものがとっても美味しいと思える体だったら良かったのにと。
不摂生な食事はのちのちの病気に大きな関わりを持っていたりする。
楽しいことが、楽なことが、辛くないことが、より良い結果をもたらすようにできていたら良かったのに。
甘いものが体に悪いものだと、生まれながらに刷り込みされてたら、まずいと感じるようになるのだろうか?
話はタイトルに戻るけど、死ぬって怖い。なんで怖いかと思うと、とにかく痛さだったり苦しみだったりが想像もしたくないぐらい怖い。
もし、死ぬことに痛みを伴なかったとしたら、自殺者ってもっと増えるのかな。コロナの重症患者の映像を見るたび、恐怖。
癌の治療や、何かの手術で痛みに苦しんでいる映像を見ると、恐怖。
ドラマで拷問されてたり、殺されるシーンがあると、ゾゾゾってするのも、苦しそうだし、痛そうだから。
死に痛みや恐怖が伴わなかったら、犯罪をしたら恐ろしい目にあうという抑止力にならない。
でも、動物も、蚊も、潰されないように逃げるし、
本能は生きるなんかな。
近頃、3歳の娘と会話が成り立つようになって、教育って怖いなーって思う。ほんと子どもは素直。
話はとびまくるけど、三浦春馬を生で見てみたかった。
そういうふうに思われるのも、嫌になったんかな?
もし、生きれば生きるほど苦しい死が待ってるなら、長く生きたいと思えないかも。
死は避けて通れない。必ず死は最終地点。
家族に見守られて、老衰で、眠るように夢を見ながらあの世に行けたら最高の人生だったって思える。
何が言いたかったかというと、
ダイエットと死についてを同時に考えたら、太る仕組みが非条理?不都合だなって思う一方で、生きるについては理にかなっている?なって思ったということ。
うーん。でも、それでも自ら死を選びたくなってしまってる人がたくさんいるから、よっぽど辛いんだろう。
災害に病に、恐ろしい。
明日から仕事。
おやすみ。